パン作り奮闘記.第五章

1.故障
 中古機器をかき集めて成り立っている我工房。なにもかも古いタイプの機械なのでデジタル化されていません。不便なこともありますが故障しても自分で直せるのが取り柄でしょう。彼らは何度も壊れているのですが未だに修理屋さんのご厄介になったことはありません。
 我工房の最初の故障者はオーブンに付いているタイマーでした。安物のオーブントースターに付いているのと同じタイプのもので、ツマミを回して希望の時間をセットするとジリジリと音がしてツマミが元に戻っていくアレです。温度設定、時間、釜に入れた生地の量どれも同じ条件なのにやたら焦げたり、焼きがあまかったりするので、最初は釜内の温度計が狂っているのかと思ったのですが、調べるのが大変なので、とりあえずタイマーに疑いをかけてみました。ストップウォッチで時間を計ってみたらあまりに違うのでびっくりてす。近所のホームセンタで980円のキッチンタイマーを買ってきて一件落着。
 その次の故障者はホイロです。ホイロ内の湿度を保つための蒸気が発生しなくなったのです。正面のパネルを外して内部を見てあまりに単純な仕組みにびっくりしました。ICの基盤の一つもあるかと思っていましたが全くありません。思いっきりアナログです。単純な機械物は良いとよく言いますが、ここまで単純だとこれで大丈夫なのかとちょっと心配になりました。それに、こんなものが何故あんなに高い価格なのか腹が立ちました。通電していない所を調べたら、プールした水を温める電熱線が壊れていると直ぐに分かりました。で、ホイロの製造メーカーに部品の調達先を問い合わせ、そこから部品を取り寄せ、それを交換して無事修理完了。
 上記の例は壊れてもそれほど焦ることもなく修理できましたが、オーブンの扉が外れて閉まらなくなってしまった時はかなり焦りました。オーブン内からスリップベルトを引き出して扉を閉めようとしたら、いきなり外れてしまいました。中には午後から配達しなければならないパンが入っています。なんとか扉の心棒をオーブンの穴に差し込もうとするのですがなかなか入りません。無常にもオーブン内の温度は見る見るうちに下がっていきます。何度も試みたのですが重い扉を支えながら一人でそれをするのは不可能だとあきらめ、扉をオーブンにあてがって中から熱気が逃げるのを防ぐことにしました。しかし汗びっしょりになって必死に扉をおさえますが容赦なく熱気が逃げてしまいます。結局扉をおさえること50分間、汗で全身びしょ濡れになりました。中のパンはいびつに黒く焦げた部分があるのにまだ白い部分もある斑になってしまいました。売り物になりません。その旨お客さんに電話連絡を入れ翌日まで待ってもらうしかありませんでした。結局、近所の友人に手伝ってもらってなんとか直りましたが、もう一人誰かそばにいて素早く対処すればこんなことにはならなかったでしょう。一人で仕事をするというのはどんな仕事にしろリスクを抱えているものなのだとあらためて感じました。


2.イースト
 私はイーストの香りが大好きです。どこか懐かしい感じがします。この匂いをかいでいると、遠い昔からこの香りに包まれたところで生活していたような不思議な感覚に陥ります。
 天然酵母だけで作ったパンはこれはこれで味わいがあります。しかし、あの幻のパンに似ていますがやはり何か違うような気がします。幻のパンは種を起こした材料がルヴァン三世とは全く違うのかもしれないと思い、何種類か液種を作ってみましたか゜イメージが遠ざかるばかりです。そんなある日、万策尽きて破れかぶれで香り付け程度にと思い、少量だけ私の好きなイーストを入れてみました。焼きあがったパンを食べてみて思わず膝をたたきました。これだ、この味だと。それ以来、本捏ねの時に少量ですがイーストを入れるようになりました。
 それでもなお幻のパンとは違うところがありました。それは食感です。もう少しモチモチした感じがほしいと思っていました。これに関してはどうすれば良いかヒントみたいなものがありました。低温長時間醗酵です。リーンなパンのあまり生地を冷蔵保存して翌日に中種として使う手法がありす。このとき更に余った生地を成形してそのまま焼くとモチモチのパンになるのは何度か試したことがあるので知っていました。それでパントラディショナルの生地を7、8分程度のところまで醗酵させ、後は5℃の冷蔵庫に入れてゆっくり醗酵させます。そして翌日、本捏ねの時に入れてみました。ただどのくらいの量を入れればいいのか分からないので数通り試し、その中から一番感触のいいのを選びました。
 これで本捏ねの時ミキシングボールに入れる材料が随分多くなりました。粉はライ麦粉、小麦全粒紛、フランス粉、中種はザワータイク、ルヴァン、前日から醗酵させたパントラディショナルの生地、イースト少々、モルトパウダー、水、塩、以上です。やれやれ、面倒なことになってしまいました。捏ねる材料が多い上に一つのパンを作るのに30時間もかかってしまいます。まっ、しょうがないか。


3.シュトレン.上
 ドイツパン作りに躍起になっていた頃、なにか甘い商品もあったほうがいいなと思い、パラパラと本をめくっていて目にとまったのがシュトレンでした。私は見たことはありましたが食べたことがありませんでした。なんとなく引かれるものがあり、作りながらもどんな味がするのか興味津々でした。出来上がり、食べてみて想像以上の美味しさにびっくりしました。
 最初は型なしで焼いていたのですが、型に入れたほうがしっとり焼きあがるというので、清水の舞台から飛び降りるつもりて゛一度に四個焼くことができる四連の型を買いました。確かに型に入れて焼くとしっとりするのですが、型に生地がくっついて取れなくなったり、焦がしてしまったりで、ちゃんと焼けるまで随分かかりました。なんとかちゃんと焼けるようになって売り出してみたら口コミだけで瞬く間に噂が広がり、遠くからシュトレンを求めて工房を訪れるお客さんがでてきました。
 よく売れるようになって、四個づつしか焼けないのじゃ効率が悪いので同じ型をもう二つ買い計12個一度に焼けるようにしようと思い注文を出したのてすが、製造中止で入手不可能。随分探したのですが、ドイツ製で鋳物製の一個用の物なら見つかりました。しかしそれは一個三万円もします。12個そろえると36万円です。貧乏工房にはとても手が出ません。河童橋で探してもらったり、色々手を尽くしたのですがサイズが大きかったり小さ過ぎたり価格が高かったりで希望のものが見つかりませんでした。
 鋳物工場で作ってもらおうかとも考えていたところ、電話帳で見つけた早稲田にある厨房機器の問屋さんにそれらしき物があるというので東京に住んでいる姉に見に行ってもらうことにしました。ありました、ありました。しかし私が最初に買ったものとは違い、単体で蓋なしでした。しかも形もやや違うし少々大きめで価格は六千円程度です。
 これなら何とかなるかもと思ったのですか゛、決定的な問題が一つありました。ちょっと大きいのです。1cmほど長いのです。1cmくらい違ったっていいじゃないかとお思いでしょう。しかしそうはいかない悲しい事情があったのです。実は贈答用に箱に入れてもらえないかというお客様の要望にこたえてシュトレン用の箱を業者に発注し、それが届いたばかりでした。最小単位ですが六百箱ばかりの箱が山になっています。この箱は最初の型(23cm)に合わせて作ったので24cmくらいです。そして、新しく見つけた型は25cmで箱には入りません。やれやれどうしたものか困り果ててしまいました。六百箱ある箱を最初の型で焼いたシュトレン用に残して、出来合いの箱を河童橋あたりから取り寄せようかと考えたのですが、24cmいう長さは箱の原紙の関係上、最長の長さらしいのです。ですから出来合いのものは24cm以上の箱は店頭にありません。新しく箱を作るにしても、あと1cmか2cmほど長くするだけで大きいサイズの原紙を使わなければならないし、新しく箱を作るための型も作らなければならないので一箱あたりの単価がとんでもなく高くなってしまうので断念しました。
 さんざん悩んだあげく型を購入することに決めました。両端に何か詰め物をして長さを調節して焼くことにしたのです。私は厚さ1cmの鉄板をグラインダーで研磨して形を整えて型にビス止めするつもりでした。数日して型が届きました。新しい型を手にしたら焼いてみたくてしょうがなく、型を加工する前に焼いてみることにしました。成形するとき、型よりやや小さめの23cmくらいにして新しい型をかぶせて焼きました。すると、焼き上がりは23.5cm24cmくらいにでき、何とか箱に入りました。思わず小躍りしました。一件落着です。


4.シュトレン.下
 シュトレンは計量さえ正確におこなえば、それほど技術的に難しいことはなく、お手軽な商品を見つけたものだと思っていました。ところがどっこい、作れば作るほど疑問や迷いが出てきました。
 先ず最初に躓いたのはドライフルーツの漬け込み具合でした。私はお菓子が洋酒の香りや味がするのは好きではありません。だから私は漬け込み具合を浅くしておけば酒の香りは抑えられると思っていました。ですからドライフルーツは通常四ヶ月ほど漬け込むのがいいといわれていますが私は二、三ヶ月ほど漬け込んだものを使用していました。ところが、昨年の十二月にシュトレンがバカ請けして漬け込みフルーツが足りなくなってしまい、しょうがなく漬け込みの浅いものを使いました。するとフルーツを噛むと口の中に酒の香りが広がる妙にアルコールぽいシュトレンができてしまいました。それ以来じっくり漬け込んだドライフルーツを使うようになりました。
 四ヶ月漬け込んだドライフルーツはまろやかでアルコールぽさがなくなることが分かりました。それならばと六ヶ月以上漬け込んでみました。するとさらにまろやかになりました。しかしここで問題が発生しました。ドライフルーツがポヤポヤに柔らかくなり、ミキシングすると砕けてしまうのです。しかもフルーツの水分が大量に出て生地がベタベタになってしまいます。通常の半分の時間しか捏ねなくてもフルーツの原型は全くなくなってしまいます。これをそのまま焼くと生地にフルーツの糖分が生地に溶け込んでいるのでオーブンの焼成温度を低めにしても表面だけがすぐに焦げ、型から剥がれなくなってしまいます。
 そこで、水分の少ないオレンジピールとレモンピール、マカデミアナッツは先捏ねし、あらためてベンチタイムむを取り、充分に表面の水分をきったカリフォルニアレーズンとサルタナレーズンはミキサーを回しながら上からパラパラ降りかけるようにして混ぜ込みました。多少べたつき感は残りましたが何とか許容範囲におさまりました。やれやれです。


5.パンの価値
 この不況のせいか随分パン屋さんがつぶれています。我工房のすぐ近所にあったパン屋さんもこの春頃、店をたたみました。イエ、決して我工房のせいではありません。それに、街道筋にあった全国展開している有名チェーン店が二店舗。それから富山の中心街に近いところにあった富山ではわりと美味いといわていた店もです。この店は隣に大きなスーパーができ、その中に入店したストアインストア型のパン屋に駆逐されたようです。どちらの店が美味しいかというと間違いなく前者です。しかしつぶれたのは前者です。駐車場を挟んだ直ぐ隣で値段もそれほど変わらないしのに、美味しい方の店が売れなくなってしまうというのは、美味しいものさえ作っていれば売れると思って頑張っている職人気質の人にとっては悲しい現実です。
 私にとってパンはとても大きな存在です。しかしごく一部のパン好きの人を除けば、炭水化物を摂取するための食物はパンでなくても有象無象に溢れています。ですからパンがなくてもそれほど困るものでもありませんし、パンは買い物のついでにちょっと買っていく程度のものような気がします。ですから多少味が違っても便利のいいところで入手する。この不況で一般庶民は財布の紐は固く、買い物は一度で済ませるようになるとなおさらです。
 もう一つ、大手業者の袋入りパンの品質が一昔前に比べるとだいぶ向上したこともあるでしょう。少しぐらいの品質の差ならば、ちょっと遠くのパン屋より近くて便利なコンビニで買ってしまうのは当然の成り行きでしょう。

 十年程前のフランスでは袋入りパンと冷凍生地を使用する全国展開したチェーンストアが町のパン屋を駆逐しました。そのためにパンの味が落ちて人々のパン離れが進み、フランス国内でのパンの売上が随分落ち込んだそうです。今はその反動からフランスの職人さんの頑張りで昔ながらの美味しいパン作りが見直されて美味しさが戻り、パンの売上は伸びているようです。
 ドイツでは十年遅れの今、この傾向は強く出ているようです。大昔からパンを食べている伝統ある国ですらこうなのですから、パンを食べるようになって年浅く、パンの価値がまだまだ低い日本ですから当然のことかもしれません。
 ともあれ、私は日々美味しいパン作りに精進するしかありません。


6.消える商店街
 私の工房がある町はその名が千年ほど前の書物に登場するような古い町で水橋といいます。位置的には富山市の東のはずれで海岸沿いです。明治の後半頃までは北前舟で随分栄えていた町だったようです。昭和41年に中新川郡水橋町から富山市に併合され、水橋地区としてその名を留めております。
 我町も現在の日本の古くからの町が抱える様々の問題をしっかり持っているような気がします。富山市の人口は約32万5千人です。そのうち水橋地区の人口は約1万8千人、世帯数は5千ほどです。
 私の子供の頃は家から歩いて2、3分のところに商店街があって生活必需品から食品までたいがいのものがそろいました。しかし今はその商店もかなり少なくなっています。現在営業していても後継ぎがなく、今の店主かぎりで店がおしまいになりそうなところがいっぱいあります。
 比較的若い世代の人たちは新興住宅地(私が子供だった頃田んぼだった所)に家を求め、高齢者の世帯は旧町内に残っている。そのために水橋地区全体の人口はさほど変わっていませんが、旧町内の人口はかなり少なくなっています。ようするに、旧町内の人口が少なくなった上に若い人がいないために、地元の人を相手にした商売が成り立たないのです。ですから年より相手の商売が細々と続いているのみです。若い人たちは車でショッピングセンターまで出かけ、地元で買い物をすることがなくなりました。まっ、地元では年より向けのものしかないのですからしょうがありません。
 地元の商店でも、巨大ショッピングセンターや大型スーパーに出店した店は店舗を増やし成功している店が多いようです。日本中何処へいっても入手可能な画一的工業製品をショッピングセンターやスーパーの集客力のみをたよりに売るしかない商売はなんか違うような気がするのですが。パン屋だけではなくあらゆる商品がそうなりつつあるのは悲しいことです。


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