パン作り奮闘記第.七章
1.ライ麦
ライ麦は日本人にとって馴染みの薄い穀物です。日本ではほんの少量しか栽培されていないせいもあるのでしょうが、私はこの道に入るまでどういう形状でいかなる性質のものか全く知りませんでした。
ライ麦は外皮が青緑ぽい色をしています。それで粉に挽くとそば粉のような灰色になり、それが水を加えて捏ねると薄茶色に見えます。水を加えるとべたべたするので、捏ねるときは小麦のように台の上では作業できないので器の中で行います。
ドイツで市販しているライ麦はタイプ番号が付いています。この番号は小麦の場合とは違い挽き方の粗さを示す数値でミネラルの含有量ではありません。タイプ815、997、1150、1370、1700といった具合です。タイプ1150が一般的で標準的なライ麦粉でこれより数値の低いタイプは細挽きで逆に高い数値は粗挽きになっています。
日本では粗挽き、細挽き、粉、程度の区分はありますがメーカーによって基準が異なりそれは目安にしかにりません。情けないのですがどのメーカーのどういう商品名のものがどの程度の挽き具合か一々調べなくてはわかりません。
やはり、粉イコールうどん粉、あるいはそば粉であった時代が長く、粉そのものの文化が根付いていない証拠かもしれません。小麦の場合もそうですが、ライ麦も訳のわからない商品名ではなく誰が見てもどういう粉か分かる基準が欲しいものです。
国産のライ麦ともなれば、その希少性はダイヤモンド級です。国内での需要は極端に少ないうえに、ライ麦が育つと人間の背丈ほどにも伸びるので国産の農業機械は使えません。ですから刈り取りは手作業で行わなければなりません。そして収量も少ない。要するに、ライ麦は作ってもお金にならない作物なのです。現在の日本の農業では最も栽培に不適格な作物という人もいます。
厄介な作物だと分かると自分で栽培してみたくなってしまう私ですが、ここまで手を伸ばすと肝心のパン作りが疎かになってしまうので、我慢、我慢。
2.失敗
この日は注文が少なかったので、いつもより一時間遅れで出かけるこしにしていました。家を出る直前に、チラッとテレビに目をやったら占いをやっています。占いなど全く信じない私ですが、ふたご座は運勢が最悪で要注意日だといっていました。
何が要注意日なんだろう。落石注意の道路標識と同じで上から落ちてくる落石にいったいどう注意したらいいのか分からない。ふたご座のオレはいったい何に対してどう注意すればいいのだ。一日中何もしないでいろというのか、ばかばかしい。とブツブツ。でも、なんとなくイヤな感じがしていました。
占いを信じようが信じまいがわが身に災難はやってきたのでした。
その日最後のパンをスリップベルトにのせ、窯に入れて引っ張ったのですがスリップベルトが動かないのです。私は何が起きたのか分からず、ただ力任せに引っ張っていました。
スリップベルトとはリーンなパンを窯床でじか焼きするときに使う道具です。窯床より一回り小さな大きさで薄っぺらいベルトコンベアみたいな感じです。布でできたベルトにバーがついていて、成形した生地をのせて窯に入れます。そして窯に付いているフックにベルトのバーを引っ掛けて本体を引っ張るとベルトが回転して生地が窯床に落ちる仕組みになっています。
窯の扉を開けっ放しにしたままにしておくわけにはいきません。窯の温度は見る見るうちに下がっていくし、早く生地を窯床に落として蒸気を注入しないと生地がだめになってしまいまいす。
もうどうにでもなれとありっだけの力で持ち手を引っ張ったら、窯の中でカランカランと大きな音がしてスリップベルトが窯から出てきました。
スリップベルトはローラーの心棒が外れて布がクシャクシャ。窯の中はグチャグチャになった生地が散乱。万事休すです。
結局この日は配達するパンが少なかったので、よせばいいのに、余った時間でチョコレートをテンパリングして型に流し込んでショコレン用に準備をしておこうと思いたちました。
ところが、溶かしたチョコレートをひっくり返してしまい、みんなパー。1kgのクーベルチュールチョコレートを無駄にするのが痛ましく、ついテーブルをなめまわしてしまいました。その顔を鏡で見たら、一月ぶりに獲物にありついた狼のようでした。しかも胃がもたれて散々。
悪いことはまだ続きました。でも書かない事にします。カミさんに怒られそうだから。
3.危ない話
町工場の優秀な職人さんが工作機械に挟まれて大怪我をしたとか、大工さんが工事現場で電動工具で指を切り落としたなどといった話を耳にすることがあります。
そんな話を聞くたびにゾッとします。明日はわが身のような気がすると同時に気をつけなくっちゃと思います。我工房も町工場ほどではありませんが、そこかしこに危険を伴う機械や道具があります。
先日、回転するミキサーに手を突っ込んで複雑骨折をしたパン屋さんの話を聞きました。回転するミキサーに手を突っ込むなんてバカなことを、子供じゃあるまいにと思われるかもしれませんが、その時のパン屋さんの精神状態や状況が手に取るように分かります。
実は私もミキサーに手を突っ込みたくなるときがあるのです。ミキサーが捏ねている生地の状態が気になって仕方がなく、意識がその一点に集中てし他のことなど考えられなくなる瞬間あります。思わず手をミキサーに入れて確かめたくなるのですが、ハッと我に返り、すんでのところで助かります。
我工房ではミキサーの次に危険なのはオーブンでしょう。半年に一回は軽い火傷をします。
オーブンの中は温度が均一ではありません。概ね扉付近は温度が低く、焼きむらができるので、素早く扉を開け、パンの方向を変えます。こんな作業は他の作業をしながらの場合が多いので、意識が散漫になっているから注意力が足りません。もう一歩足を前に出せば、或いはもうちょっと屈めばオーブンの入り口に対して真っ直ぐに手を入れることができるのですが、そのわずかな時間も惜しくて入口に対して斜めに手を入れると、ちょうど腕のミトンで保護されていない部分を窯の入り口でジュッとやってしまいます。
パンのスライサーも危険な道具の一つかもしれません。
たまったパンくずをちょっと掃うのに、一々スイッチを切るのが面倒で回転する刃の付近を手で掃い、手を切ってしまうケースや、パン押さえを使わないでパンをスライスして最後の一枚を押さえ損ねて指を切る場合があります。
その他の危険なものといえば、天板と包丁くらいですかね。
焼けた天板を冷えている天板とをうっかり間違えて持ってしまうことがあります。おっちょこちょいの私は結構これをやらかしてしまいます。
なんだ包丁かと思われるかもしれませんが、包丁はけっこう危険な道具の一つのような気がします。何処の家庭にもあるものですが、使い方しだいで人を殺すこともできる道具ですからバカにできません。いずれにしろ、基本的な扱い方を守れば全く問題ないのですがね。
事故が起きる時は注意力が散漫になっている場合と極端にある一点に意識が集中している場合のような気がします。逆に良い仕事ができる精神状態というのはリラックスしていて、尚且つ適度な集中が維持できている状態のように思います。
我工房では人間の都合で時間に縛られることよりも生地(パン、酵母)が主役で生地のご機嫌に人間が合わせなければならないことが多いのですが、それに私が合わせきれない時に良い仕事ができる精神状態ではなくなるようです。
ともあれ、もっと酵母の気持ちがわかるよう精進しなければとつくづく感じる今日この頃です。
4.ねずみ
当地、富山に定住してからもう十年くらいになりますが、一度もねずみを見たことがありません。
大都会ではものすごい勢いでねずみが鼠算式に繁殖しているという新聞記事を見ました。その記事を読んで、東京にいた頃はよく地下鉄のホームで線路の脇をうろうろしているねずみを見たし、勤めていた会社の倉庫にもいたのを思い出しました。
なんでも、地下鉄や下水道などの人口構造物の増加と温暖化,ゴミの処理方法の問題、それに農村の都市化の進行が複雑に絡み合ってねずみの繁殖に適した環境が増えているとか。
これを読んで思い出したのは、マムシです。私は蛇が大の苦手で、近くに蛇がいると聞くだけで鳥肌が立つほどいやです。なのに私は山登りが好きで以前はよく山へ行き、蛇と出会いました。不思議なことに蛇が嫌いな人ほどよく蛇を見つけるようで、私は頻繁に彼らを発見しました。
それで気づいたことは、彼ら、特にマムシ君は藪の中や草むらにはあまりいません。山の中でも発電所やダム関連の施設、石垣や冬季歩道などの人口構造物に巣を作っているようで、人の気配がするような所でよく見かけます。人間が歩きやすいところは彼らにとっても歩きやすく住みよいのでしょうね。
そういえば、スズメバチも昨今では山や野原より住宅地に巣を作ることが多くなったと聞きます。それに、狸やアライグマもそうらしいですね。ということは、人間が住みよいと感じる環境は動物にとっても住みよい場合が多いのか。
と、ここまで書いて何について書こうとしていたのか忘れてしまいそうに、そうそう、ねずみです。
最近、私はねずみを作ります。
何のことかと言いますと、パンのことです。黒焦げになったパンのことなのです。
いつもパン生地に余分な分がでます。これを使って50g程度のクーペ(ラグビーボールのような形)やシャンピニョン(きのこのような形)にして、お得意さんに配ります。それでも余ったものを冷凍しておき、ちょっと小腹がすいたときなど、余熱の残るオーブンに入れて解凍して食べます。
ところが、オーブンに入れたパンをすっかり忘れ、配達に行ってしまい、そのまま翌日。オーブンの余熱は翌日でも50℃くらいあります。そして翌朝スイッチを入れて220℃位に加熱して、パン生地を入れる時、扉を開けてギョッとします。ねずみがいるのです。足掛け2日オーブンに入っていたクーペやシャンピニョンは黒焦げになって、まさにねずみです。これを何回もやっているから、ねずみじゃないと分かっているはずなのに何故かねずみに見えてしまうから不思議です。
ねずみのお話でした。
5.ことば
最近、耳障りなことばでイライラさせられます。
毎回お粗末な文章ばかり書いていて偉そうな事は言えないとは重々分かっています。でも、どうしても我慢できません。
コンビニやファーストフードのお姉ちゃん達が口にする言葉遣い使いにイラつかされているのです。
「ご注文は以上でよろしかったですか」と過去形を使ったり、「一万円からお預かりします」の「から」という格助詞を使って前後の関係を訳分からなくする変な言い回しは勘弁して欲しいものです。
最初に聞いたときは随分日本語の上手い外国人だなあと思いました。ところが、いつの間にやら何処へ行ってもこの変な日本語を聞かせられるようになりましたが、未だに馴染めません。
これを聞くとケツを蹴飛ばしてやりたいような衝動に駆られてしまいます。
どうやらこういう言葉アレルギーはかなり個人差があるようで、或る人は「私としては・・・・」とやるべきところを「私的には・・・・」とか「彼的には・・・・」という中国語のような使い方に我慢できないという人や、ら抜き言葉が耳障りだと思っている人、敬語の使い方の間違いがイヤだなど様々なようです。
そもそも、言葉は時代とともに変化し続けるもので、過去とは逆の意味で使われている言葉やちょっと昔とは違ったニュアンスで用いられたり、完全に死語となってしまったものがあるように、時とともに言葉は淘汰されていくのは分かっているつもりです。でも我慢できないのです。
イライライラ。
6.見えない敵
最初にアレッと思ったのは2003年の5月でした。
新しいザワータイクを作る季節がきて、いつものように種作りを始めました。
三日目の段階までは順調だったのですが、四日目になると種はとたんに元気がなくなりました。それまで、数え切れないくらい種作りをしましたがほとんど失敗することはなかったので、まっ、こんなこともあるさ、とそれほど深刻に考えませんでした。
ところが、次も失敗、その次も失敗して四回目にようやく成功しました。
温度管理を徹底し、粉を変え、考えつく改良点すべて試してようやく出来上がった種はとても香りがよく、それまでの種とは比べ物にならないくらい、いいできでした。
結局、いつものことながら失敗の原因は分からずじまいです。本来ならば失敗の要因となりうる条件を一つづつ変えて実験し、その原因を突きとめるべきなのですが、種作りは通常の業務の合間に行わなければならない当工房の設備上、条件の異なる種を何種類も一度に作るのは不可能です。それに、長い期間をかけて気候が変わってしまうと作りにくくなってしまいます。ですから、失敗の原因と考えられる要因をすべて一度にたたかないと次も失敗するかもしれないものを作っている時間的、物理的な余裕が無いのです。
結果として、とても質のいいザワータイクができたのだから、これでいいのかなと思うしかありませんでした。
その年の10月のことです。また新しい種をつくる時期がきました。
前回作った種はとても香りがいいので、やや酸味が強くなってきたとはいえ、、この種を捨ててあたらしい種に代えるのはもったいないような気がしていました。
前回の失敗を踏まえ、慎重に種作りをしました。ところが、なんと失敗すこと12回、成功したのは13回目でした。
粉を変え、条件を変え、考え付くことはすべて試してもだめ、10回目以降はただ闇雲に種作りを繰り返すだけで、どうにでもなれとヤケクソ状態でした。
これ以上失敗すると、もう日本で入手できる粉がなさそうだし、温度管理が難しい気候になるしで、もう成功しないのではないかと不安になりました。ひょっとすると、神様は新しい種を作るより今使っている種をずっとかけ継いだほうがいいといっているのだろうかと誠に都合のいい考えが頭に浮かびます。
ともあれ、何故か13回目に成功してしまいました。
何の証拠もありませんが、この年のライ麦は輸入時の燻蒸が強く、本来ならばライ麦に付着しているはずの様々の細菌が死滅していたのではないかと思っています。
2004年、5月の種作りは一発で成功しました。昨年の苦労はいったい何だったのでしょう。
目に見えない敵との戦いはまだまだ続きそうです。