パン作り奮闘記.第二章

1意識の違い
 私はこの修行でパン作りの基本的なものを身に付けたいと考えていました。この店は天然酵母など扱っていなかったので、酵母の起こし方などは自力で研究しなければと思っていましたが、捏ねあがった生地の色、ツヤ、伸び、硬さ、感触はパンの種類によってどんな違いがあるかとか、丸めや伸ばし、パンチの入れ具合といった基本的な生地の扱い方など、本を読んだだけでは分からない部分を吸収したくて躍起になっていました。ところが、ボブはこの店の店員として働ける人員を育成するという意識が強く、この店のシステムを教えたがっているようでした。ですから店内アナウンスの仕方やお客さんとの接し方などに熱心で少々嫌気がさすことが多くなってきました。ボブが教えてくれることは小学生でも鼻で笑いそうな常識的なことばかりで、役に立ちそうも無いのでいたずらに時間だけが過ぎていくことにいらだちも感じるようになってきました。思い余ってパン作りの基本やらちょっと突っ込んだ質問をすると彼女は「私は職人じゃないからわからない、私はここの店長です」と逃げてしまいます。困ったものです。


2.マニュアル
 急激に成長した企業によくあることですが、この店も組織の骨組みがしっかりしていないところがあります。命令系統がしっかりしていないし責任の所在が曖昧だし、マニュアルが確立されていない。ですからパンの成形は従業員それぞれバラバラのやり方をしています。そのため、出来上がりの形状が微妙に違います。どうやら教わった人がそれぞれ違うらしいのです。ちょっとやり方を忘れて以前教わった人じゃない人に聞くと全く違う方法を教えられたりします。マニュアル一辺倒でマニュアルから逸脱した事項に全く対応できないどこかのファーストフードのお店のお姉ちゃんみたいなのも困りますが、基本的なことはマニュアルを徹底すべきです。まっ、おかげさまで私はカスタードクリームの作り方を四通りも覚えることができましたが。
 困ったことに、ボブはかんしゃく持ちで機嫌が悪いと誰彼かまわず当り散らします。彼女がキレたときはとても感情的になって論理的言動は全く通じません。そうなったときは、他の従業員はあたふたしてピリピリしています。平然としている私の態度が気にいらないのか、掃除をしている私のほうきの持ち方が良くないと言って叱り飛ばされこともありました。その時はさすがにムッとするのを通り越してあきれ返ってしまいました。ともあれ、リーダーが感情的論理を振り回して部下を押さえつけ、正当な意見を持つ部下の言動を許さないのは、ちと問題があります。組織が誤った方向に向かったとき制動が利かなくなる恐れがあります。この店でしか通用しない論理に縛られビクビクしながら働いている従業員がかわいそうになってきました。


3.迷い
 修行に入って一ヶ月程したころ、社長に呼び出されました。やはり、五ヵ月後に開店する店をやらないかというのです。スーパーマーケットの立地条件が良く集客力抜群で一日の売上は25万は堅いとのこと。しかも保証金はなし。富山県のスーパーマーケットは飽和状態にあるし、来年からは店舗法改正で開店しずらくなるから、こんな好条件での出店はもう二度とない。こう言われて、グラッときました。それまでは資金力がないので、当面は車を改造して移動販売でパン屋を始めるつもりでいたのが、何時の間にか頭のすみでスーパーの店が繁盛してお金持ちになった自分を想像していました。その場は曖昧な返事をしてその場をごまかしてしまいましたが、内心はかなりその店をやる気になっていました。しかし問題が無かったわけではありません。まず第一に、スーパーはほとんど休業しないので店は年中無休で開店から閉店までの長時間営業しなければならない。それを続ける体力があるかどうか。第二にいいスタッフを集められるか。
 開店から3ヶ月は本部から仕事のできる人員を二名づつ派遣されるが、それ以降はその3ヶ月の間にアルバイトやパートの中から仕事のできる人員を養成して切り盛りしなければならいのです。第三に、パン生地のほとんどは本部から冷凍生地を買わなければならないことです。理想のパン作りどころかあまり美味しいとは思っていないものを作りつづけなければならないのです。
 第一の問題に関しては体力的には自信がありましたし、第三に関しては開店当初は本部の冷凍生地を使うのもしょうがないでしょうが、いずれ徐々に自分で捏ねた生地を使い理想のパン作りを行うこともできると思っていました。しかし、第二の問題は如何せんどうしようもありません。いいアルバイトが来てくれることを祈るしかありません。優秀な人材の確保という一番困難な問題が立ちはだかっているのです。


4.体調不良
 修行に入って二ヶ月程経った頃から風邪をひいてずっと微熱が続いていました。ちょっとからだがだるいくらいでさほど仕事に支障がなかったのであまり気にもしていなかったのですが、カミさんにちょっと痩せたんじゃないと言われて体重を量ってみたら、65kgあった体重が60kgしかなくなっていてびっくりしました。それでもこの頃は少々でっぷりした腹がすっきりしてよかった。くらいにしか思っていませんでした。ちょうどその頃、相変わらず社長に対して煮え切らない返事しかしない私に業を煮やしたのか、以前私のように修行をしてスーパーで店を開いた人の所でしばらく修行してみたらと言われました。この頃になるとボブの私に対する嫌がらせが酷くなってきましたし、この店で学ぶべきことも少ないと思ったので二つ返事でそれを受けることにしました。ところが、めまいがしたり、吐き気がしたりして体温も常に38度を超える状態が続くようになりました。とうとう体重は57kgまで落ち、動くのが辛くなり、ボブに一時休養を申し出ました。
 どうも風邪をこじらせたようで、入院しろと医者に勧められましたがなんとか勘弁してもらい、自宅療養ということで、今後のことをじっくり考えてみることにしました。


5.自力更正
 療養中に、社長が勧めてくれていた別の修行先の店の主人は忙しくてとても面倒みられないからということでその店での修行は断られました。
 一週間ほどで体調は戻りました。が、体重はそのまま戻らず、私も店に戻ることはできませんでした。ボブは社長に私のことをどう報告したかは定かではありませんが、だいたい察しがつきます。途中で職場放棄した廉でクビということで一件落着。ホッとしました。給料はいっさいもらっていなかったので金銭的なトラブルは一切ありませんし、療養中にいろいろ考えた結果、それまでスーパーに出店するつもりでいたのですがやめた方がよさそうだと思い始めたときだったので、サバサバしたものです。もうまずいパンを作りつづけなくてすむと思うととても幸せな気分でした。ただ、あと一週間ほどミキシングをやっておけばなあと心残りでした。
 お金持ちになれたかもしれないチャンスを潰してしまったことをカミさんに詫びました。そして、今後どうするかを話しました。昔、住んでいた家を改造して車庫にしています。そこをさらに改造してパン作りに必要な最小限の機器を買い、パン工房を作る。しばらくの間はアルバイトをしながらここでパン作りの研究をさせて欲しい。こう頼みました。最初はとんでもないという顔をしましたが、「私がメシを食わせてあげるから思う存分やってみたら」というご返事。感謝、感謝です。


6.改造
 さっそく車庫の改造に取り掛かりました。しかし、建物は築百年ほどで今にも崩れそうな屋根部分を鉄骨で支えたもので屋根部分は何時潰れてもおかしくない代物です。車庫に改造した時、工事をした建設会社の人は折角改造したけれどもう長い間は持たないでしょうと言っていました。ところがそれからもう30年も経っています。道路に面した前部分には車二台分の駐車スペース、後ろ半分と中二階は物置、それに二坪しかない元庭だった所。しめて25坪ほどの広さです。これを前の駐車スペースはそのまま残し、後ろ部分に6坪ほどの作業場と3畳ほどの事務所を作ることにしました。もちろん、自力で。
 先ずは物置部分のかたずけから始めました。こんなもの二三日もあればかたずくだろうと思っていたのですが、さにあらず。捨てるに捨てられないでいた骨董価値の全く無い、所謂ただのガラクタが次から次と出てきて、何時になったら工事にかかれるのだろうと途方にくれてしまいました。しかも、車庫に改造した時に出た残土が元庭だった所に積み上げてあって、雨が降るとその傾斜をつたって雨水が床下に流れ込み、長い年月の間にその付近に置いてあった物がその水分の影響で錆びやらカビやらで酷い状態になっているのが分かりました。どうしても捨てられないもの、ゴミの収集日に出すもの、近くの川原で焼くもの、産業廃棄物業者に持っていくものと分類してはその日に焼くものを車に乗せては川原に出かけ3時間かけて燃やすという日々が二週間続きました。もう業者に中古のオーブン、ホイロ、ミキサー、三点を注文し、搬入日も決まっていた関係上、それまでに機器の裏側にあたる部分の壁だけは完成させなければなりません。もう一人手伝ってくれる人がいれば簡単にできることでも一人ですと三倍も四倍も時間がかかるのであせってしまいます。
 ともあれ、搬入日までにはなんとかオーブンとホイロの裏にあたる壁を完成させることができました。機械が入ると、ただのガラクタ置き場だった所がなんとなくパン工房らしくみえるもんで、不思議です。ようし、これで美味しいパンを焼いてやるぞとオーブンに頬擦りしてはあの幻のパンを思い出していました。


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